2004年11月28日(日)
あなたの嫌いなものはなんですかと聞かれると、とっさに病院と床屋と答えてしまう。 とにかくこの二つは大嫌いなのだ。 たいてい嫌いなものには理由があるのが普通だが、私の場合とくに理由などなく、とにかく嫌いなものは嫌いというだけである。 風邪くらいでは決して病院には行かず、じっと家で風邪と1対1の戦いに挑んでいる。 だから今では38度台の熱であればほとんど自分で治すことが出来るようになった。 では床屋はどうしてるかと言うと、何のことはない、家のかみさんからバッサ、バッサとカットしてもらっているだけのこと。 もう10年以上も床屋には行ったことがない。 だから、かみさんの腕前もメキメキあがり、自分からすると下手な床屋よりはるかに上手だと思えるようになってきた。 ところが夕べいつものように風呂に入りながら 「かっちゃー、髪きってけろー」 と叫んだが、いっこうに返事がない。 何回呼んでもだめだった。 しかたなく自分でカットしようと鏡を見ながら頑張って見たが、鏡を見ながらというのは、なかなか難しく、どうしても手の動きが切ろうとする場所とは反対にいってしまう。 しばらく格闘しているうちに面倒くさくなって、手ぐしも使わず切り始めた途端、ギャッ ・・・ 間 ・・・ 血がたらーと流れてきた。 しまった耳きってしまった。 久々のタイガース(イヤー)カット、明日は会社やすもーと・・・。
昔の床屋は外科医も兼ねていたそうだ、かあちゃん、こんどはお医者さん○○○だね。
あっ、この病院は外科・しか・ないか なんてね
2004年11月26日(金)
私は昭和31年の3月の早生まれである。 しかし、当時の早生まれというのは4月生まれの同級生とは、かなりの隔たりがあったのを覚えている。 小学校の 6年間、前へならえはもちろん右へならえなど一度もしたことがない。 親を恨んでもどうしようもないが、母に一度だけ言ったことがある 「どうしてもっと大きくなるように生んでくれなかったのか」 と 母いわく、「淳は確かに小さいが、その分誰よりも早く何でも出来るではないか、特にお前は生まれて9ヶ月で歩いたんだよ、すごいじゃないか」 この言葉で妙に自信がついたような気がした。 だから私はこの9ヶ月で歩いたことが自慢で、大学生になってもまだ、しゃべっていた。 ところが、友人に 「お前なぁ、あんまり自慢になる話じゃねえぞ」 「なにがよ!じゃお前何ヶ月で歩いたんだよ」 と切り返したが無駄だった 「お前、知らねぇのか、よく言うじゃねえか下等動物ほど生まれてすぐ歩くって・・・」 ショックだった、自分の唯一勲章だった9ヶ月が・・・・・。このことは自分の中で封印していたが、この間、知人の家族と北海道旅行し28年前に青春をすごした札幌でのこの会話を、ふと思い出した。
田中淳!48歳!身長五尺二寸七分!極めて健康!明日もガンバロー!
2004年11月19日(金)
今年の春社内会議で、お客様に夢を持ち続けてもらう為の提案として 「お庭でピザを楽しみませんか」 と言う空間を展示場に作ろうと決まった。 ところが私がはりきりすぎて、高さ2.5m×幅1.2mと、とてつもない大型の釜を作ってしまったものだから社員はもうだんまり 「夢がでかすぎますよ」 とぽつり。 技術屋という者はどうしても技を見せたがる傾向にあるようだ、困った物だ本当に・・・・。 そこで名誉挽回ではないが、小さくすることも技術とおだてられ小型のピザ釜を作って見た。更にガーデン21の仲間であるイヌイフィージョンの竹内社長から装飾を加えてもらい、まずまずの釜が完成した。煙突は風向きにより回転式に、火口は鋳鉄で装飾を加え、レンガの釜にとって天敵の雨よけのための屋根も取り付けた。また土間コンの上を自由に移動できるようキャスター式になっている。これで全て完成ではないが、来春には新しい提案型のピザステージが展示場に完成する予定だ。
・・・・・・はりきり過ぎなければ ねっ
前略
竹内社長、草加せんべいありがとうございました。またよろしくお願いします。
草加
2004年11月16日(火)
今朝は、ちょっと寒かった。天気予報は津軽地方は雪の舞う所もあるでしょう・・・。太平洋岸はおおむね晴れるでしょうと報じていた。たしかに八戸は太平洋岸で、おおむね晴れていたが、風が冷たいのなんの、まあ真冬に比べればはるかに楽なことは楽であるが、前日との温度差が10度以上も違えば寒さも身にしみる。G-21の会議などで、東京町の方へ出かけると 「八戸はどの位、雪はつもるんですか?」 何て聞かれる。 「はい、ほとんどふりません」 と答えると 「嘘でしょ、八戸はそんなに暖かいのですか」 なんて言われてしまうこともしばしばある。 雪=寒い つまり雪のあまり降らない八戸は暖かいと思われたみたいだ。 たしかに真冬の八戸は、晴れの日が多く、空は青く太陽が照りつけ、家の中からみれば真夏の空と勘違いすることもしばしばあるが、一歩外に出ればそれはもう・・・・暖かいんです・・・・このごろは・・・暖冬で・・・・、ここ3年位、暖かい冬で遠来のお客様に 「八戸は暖かいですね」 なんて言われると妙にプライドを傷つけられたような気がしてしまうのは私だけだろうか?
今日チラチラと白い物が見えた、鏡を見る度に増えてゆく、もう数えきれない雪化粧
かっちゃー、あした染めでけろー! なにーっ、金髪にがぁー! だと・・・。
2004年11月12日(金)
はやりの風邪をひいてしまった。たいした熱が出るわけでもなく、ただ体がだるくて頭がぼーっとして鼻がぐずくず ・・・ 会社を休むほどのものでもないが、出社してまわりに迷惑をかけるよりも、たまに家で何かを考えるのも自分の仕事と決め二日間休ませてもらった。ところが、ところが二日間で何回ピンポンを鳴らされたものか、こっちは一応病人だ、なにが屋根の塗装だ!何が外壁の張替えだ!あげくには、「きのうもお邪魔しましたが・・・是非ともモニターさんに」だと、それでなくても風邪で頭から湯気が出ているのに、とうとう沸点に達してしまった「何がモニターだっ、あんたらの現場は全部モニターだらけじゃないかっ!」 この手の方々はなかなかしつこい、捨てぜりふの一つでも吐いたのであろうが、聞こえなくて良かった。とにかく玄関を開けたら大変ですぞ・・・・。
せめてインターホンにはモニター?付きを、
訪販じゃなかった 防犯にもなりますよ。
2004年11月6日(土)
ジャパガ? 何、ジャパガって じゃっぱ汁なら知っているが、と言う方もいるだろう、これは業界用語で正式にはジャパンガーデニングショーのことである。実はこのジャパガに我が社も参加していたのである。といえば聞こえはいいが実は、ここのひとり言の記事にちょくちょく出てくる、ガーデン21として庭つくりコンテストプロ部門にエントリーしたのである。結果は見事 銀賞 ・・・ パチ・パチ・パチ ・・・ まばらな拍手ありがとうございます。ところで、このジャパガ、年々出展者(社)数が減少しているという、にもかかわらず、逆に入場者数は増えているとの事、昨年は3万人を越え、今年はそれを上回る予想だという。一過性のブーム的な、あるいはお祭り的な要素がなくなり、いよいよ中身を追求する時代に入ったのだと私は思う。
メンバーには内緒だが、実は前日東京モーターショーに行って来た。車に興味のない私だが、どうしてもお目当てのコンパニオン、いや車が見たくて ・・・・・・ 。
テーマは働く車と福祉だそうだ
2004年11月3日(水)
10月最後の記事で鉄は錆びる!それも自然、それを楽しんではいかが?みたいな事を書いた。 「あっ、一つ前の記事だった」 ただ勘違いされては困るのは、ここで言う鉄とはロートアイアン(鍛鉄)のことで、昔一世風靡した丸パイプや角パイプに粉体塗装や焼付け塗装を施しただけの、属に言うパイプフェンスとは明らかに違うのである。また、錆についてはそのまま放たらかしにして、だらだら錆びて回りを汚してゆく姿を楽しむのではなく、手入れを楽しみましょう、と言うことなのだ。別に抗議のメールが入った訳ではないが、昔、何百枚、何千枚と販売したパイプフェンスは今どうなっているのだろうと、ふと思い出してしまった。当時は、まだまだ手入れなどと言う習慣も暇もなく働いていた時代だから、いかに他社と比べて錆びないかの競争だった。M電工はこうだ、T建鉄は、N金属は、等など今とは随分違っていた。時々、昔手掛けた現場を見るにつけ心が痛む、ほとんどのフェンスや門扉が、表面の塗膜に錆び果てた鉄くずだけが、かろうじてぶら下がっているだけの状態なのだ。まさに鉄・骨粗しょう症である。当時私は鉄は錆びません、とは一言も言っていない、錆びるとも言わなかった。ただ「優れた塗装技術により・・・・・・」とは言った。
まさか塗幕だけ残っているとは・・・。