2005年3月29日(火)
夕方、ミーティング中に電話が鳴った。 皆それぞれ会議テーブルでのミーティングの為、たまたま私がその電話をとった。 「季節館さんですか? そちらに田中さんおられますか」 「あいにく出張中ですが」 「では、田中○○子さんは?」 「もう、帰りましたが」 「ちなみに田中淳さんは?」 なんのことはない先方が話したかったのは全員田中だったと言うわけである。 「ところで、もう一度どちら様でいらっしゃいましたか?」 「はい、国際バラとガーデニングショーの事務局のものですが」 「はいっ?」 「実は、そちらからご応募いただきました作品が審査を通りまして・・・」 「で、どどどどの田中の物が通ったんですか?」 「三点全部です」 「えっーっ、本当ですか?冗談で出したんですが」 「冗談?では、ご辞退される・・・・?」 「とととと・とんでもない行きます・行きます、東京ドームだろうがどこだろうが」 「あのー、西部ドームですが」 「ハイ、西部でした西部でした」 と、まあ、こんなことになってしまった。 去年行って見たが、それはそれは素晴らしいショーで一言では到底表現できない。 なるほど25万人もの入場があるはずだ。 と、一人で納得。 さて、忙しいなんて言ってられなくなった。 あのでかいブスいやブース、しかも三つとなると・・・。 考えただけで、じゃわめく (訳:うずうず、あるいは、わくわく、もしくは、ざわざわ) じゃ。
あーぁ、冗談もほどほどにしないと・・・。 嘘から出た誠なんてあるけど、冗談から出た本当の話ってあるんだなぁー。 あーあバラガー。
2005年3月27日(日)
春です。春です。春ですよ。 今日のお天気は、晴れ、気温8度、ヤホッー! 「ちょっと、あんだ、何喜んでんの?わらし(子供)みたいに・・・」 「それより、あんだ、ちょっと頭変だよ」 「頭が変?変とは何だ!この変なのが良くて一緒になったくせして」 一瞬間をおいて、女房と長男が人の頭を指差して笑う。 うむっ、もしかしてと思い鏡を覗き込む・・・「自分でも笑ってしまった」 頭の毛が段段畑の上ににススキが無数に生えているような状態。 あっ、そういえば三日ほど前に女房から髪を切ってもらっている時に、ハサミが切れないなぁー何て、ぶつぶつ言っていたのを思い出した。 切れないハサミはいくら頑張っても髪が逃げてしまい、切り始めの所だけは切れるが、あとはまったく切れずにのこってしまうのだ。 つまり、髪は真っ直ぐに切れるべきところが全て三角形に切れてしまっていたということになる。 これは誰が見ても変だ。 しかも、三日も前からこの状態、「何してしゃべんないの」 「自分で気が付いて床屋さ行ってくれればいいど思ってさ・・・気が付かないほうが変だよ」 ときた。 私の床屋嫌いは百も承知のはず。 反撃の始まりだ・・・十数年床屋には行ったことが無い、今まで全て女房から切ってもらっていたのに・・・。 「もう、いいっ、今度から自分で切るがら・・・」 「アイフルみたいになんないように、ねっ」 あらまぁ、完全に反撃体制だ。 もうこれ以上はむかうと、後が怖い・・・
♪♪♪浴衣の君は、すすきのカンザシ・・・♪♯♭♪ なんてね、あーあ、あの頃はー・・・。
「うーっ、何がしゃべったがーっ!」 「いや、なんも・なんも・行ってきまーす」
はぁ、帰ってこなくてもいいよー と 聞こえたような気がする?
2005年3月25日(金)
今朝、四時には雪は降っていなかった。 五時過ぎ頃からかな、降り始めたのは? そのうちに本格的に吹雪きはじめた。 ここの話題はいつも雪の話! 何か他に話題はないのか! ラジオで言っていた、三寒四温だと ・・・ しかし、三寒が金・土・日とは、何たること、今は、て・ん・じ・か・い・中だっー。 「神様、どうか・どうか、もうこれ以上私どもを苦しめないでください」 「どうせ雪を降らせるのなら、九州の方へ特に北九州、わがままを言わせてもらえば中間市あたりにお願いします」 「あそこには、私の悪い仲間がたくさんおります。雪が降ると大変喜んでいます。どうか、かしこみ、かしこみ御、願、奉り候」
ああ、これで何とかなるかな。 そろそろ皆で頑張っている雪かきに、さんかんしおん。
2005年3月19日(土)
良く晴れた日に、雨が降っていることがある。 これを狐の嫁入りだ、などというがけさは、良く晴れているのに雨ならぬ雪が降っているではないか。 この場合なんと言うんだろう? 狐の婿入り・狸の嫁入り まあ、どっちでも良い、いずれ嫁入りであっても婿入りであってもめでたい事には変わらないのだから。 我々にとっても今日は今年の一年を占う意味でとても大切な日である。 何度も独り言に書き込んでいる今年最初の展示会のスタート日なのだ。 周りの景色を見ると、まだまだ雪の残っているところがたくさんあり本当に春なのか錯覚してしまいそうだ。 しかし展示場だけは夕べ遅くまでかかり、スタッフが残っていた雪や氷を片付け、ようやく春を迎えたような気がする。 駐車場も従来の倍のスペースを確保した。 さぁ、これから今年の勝負が始まる。 まずは、全員スコップとはぎ (ほうき) をたなって (もって) 狐と狸のバージンロードの清掃から始めるとするか。
うむ、 まてよバージンロードはたしか赤のはず、きょうのバージンロードは白と言うことは?
わかった、こいつら再婚だべー。 きっと・・・。
2005年3月16日(水)
社長、ちょっとお話があるんですが、とネット担当者から ・・・ 「最近独り言ばかりで、ツボの方はどうなっているんでしょう」 とクレームが出た。 あぁ、そのうち書くから ・・・ 「そのうちだと困るんですが」 「いーやぁ、そのうち、そのうち」 と逃げたがこれまた、しつこい。 そうなると意地でも独り言に専念したくなる。 今日もまた、書いてしまった独り言。 明日は担当は休みだ、明日もまた、書こうかな独り言。 なんてね、でも正直言って1日に二つ、三つというのは、ちときつい、特に今は今年最初の展示会の準備の真っ最中、役にたたない猫の手も借りたいぐらいだから、パソコンに座ってパチパチしているのはどうも調子が悪い。 母ちゃんがスコップ持って稼いでいる時などは一応手伝うふりもしないと・・・ねっ。 てな訳で今日も外で陣頭指揮とりながら、手伝うふりしながら、ツボを書くふりしながら、独り言をぶふぶつと書いてしまったと言うわけである。
指圧の心・・・ではないが、今年最初の展示会、しっかり壺を押さえ本格的なシーズンを迎えたいものだ。 それで準備のほうは・・・?
2005年3月15日(火)
今日の夕方、女性が一人乗った車が入ってきた。 ちょうど私は、展示場の整備の状況を見て回っていた時で、その車を誘導しながら誰なのか確認の意味で車から降りてくるのを待った。 通常のお客様はたいていの場合、ご夫婦か家族連れがほとんどなので普段のこういう場合は、確認してから担当を呼ぶようにしている。 すると片手に図面らしき物をもち、私の方にむかってくる。 「こんにちわ」 と声をかけると、「こんにちわ」 と笑顔で返してくれた。 あっ、お客様だと思い、一応歩きながらではあったが、見積依頼のところまで話が進んだ。 事務所にご案内し、お茶をお出しして話を切り出そうとしたら、 「あのぉ、お宅さんは、もしかして・・・・」 「はい、そうですが何か」 と言うと 「実はもう、20年以上も前なんですが、うちの外構工事をやってくれた田中さんですよね」 「えっー、」 ということになり 「そういえば、わたしも何となくどこかでお見受けしたことが・・・」 別に忘れたわけではないが、と言いたいけれど、以前勤めていた会社での工事だったため、正直ピンとこなかったのである。 その当時となると、やはり二十四、五年前のことになってしまう。 現場を見れば思い出すが、なにしろ当事からの工事件数となると数千件じゃあきかない数。「申し訳ございません。 今一度場所を ・・・ 」 「今は、もう別な所に新築しましたので新しい住所お知らせしておきます」 という事で、まずは担当者のほうにこの話はあずけた。 しかし本当に嬉しい話である。 二十数年経ってもまた、手前どもで工事をさせていただけることになるとは・・・本当にこの仕事をしていて良かったし、本当に幸せなことだと思う。
当事は、まだまだ図面を書くという習慣も無く、図面ではなく地面をかいて受注していた時代、その中で、この町で私ぐらいだったろう正式な図面を書き、正式な見積をしていたのは・・・。
※図面ではなく、地面を書くというのは、現場に出向いてそこの家の敷地に棒切れで 「門の位置は、だいたいこの辺になります。 フェンスはブロック2枚おきにはさみまして、車は、この辺に納めるとして・・・」 とやっていたのが当たり前の時代だった。
2005年3月13日(日)
きのうは、吹雪いたがたいしたことはなかった。 一安心である。 しかし、夕べは何となく空を見上げ、大丈夫かなぁと思いつつ駐車場へと足を運ぶ、と途中でなかなか良い景色が目に入った。 照明と雪明りに照らされたヒイラギナンテン、いやそればかりではない、あらゆる物が美しく見えた。 雪化粧も悪くない、うっすらと展示場全体が白く幻想的な雰囲気をかもし出している。 こんな時、お客様が来てくれたらなぁ、真冬の展示場もまんざら捨てたものではない。 このまま、下地が見える程度の薄化粧を保つならば、きっと日本一の展示場であるに違いない。 きのうで、ようやく厚化粧を無理やりはがし、さぁ、これから若葉の季節に向かおうとしているのに、もうこれ以上の厚化粧はやめてくれよ ・ な。 と天を仰ぐ・・・ と ・ ふだんはここで、母ちゃんの化粧のことを取り上げ落ちに入るところだが、今日はやめておく。 うちのかかぁ誰から聞いたのか、最近ホームページ見れるようになってしまい、あまり変なこと書き込めなくなってしまった。 さぁ大変だ・・・。
かあちゃん、下地がちらっと見えるぐらいのほうが・・・・・
なにっー、下着 ち・ち・ち・ぢがヴーってば 下地・下地・下地だつーの、日本一だつーの。
2005年3月12日(土)
いゃー、そろそろ庭の話や、お客様との色々な会話など書き込まなければと思うのだが、どうしても食い物の話やら、天気の話に行きがちである。 これはしょうがないことかもしれない。 やはり、気持ちが外に向かないうちは、そういった状況にならないのである。 ご来場のお客様も、車から降りずにぐるりと場内を見て回りさっさと帰られてしまう。 こちらが、カタログなどをお持ちしても、なかなか窓を開けてくれなかったりと、営業も大変である。 やはり寒さのハンディキャップは大きい。 それにもめげず、今日も場内の雪かきをして、何とか駐車スペースまでたどりついた。 それ以外のところは完璧なまでに、完了している。 「ここまでやっておけば、午後からは通常の業務についていいぞ」 みんなコーヒーを飲みながら談笑していた。 昼食を済ませ各自通常業務 ・・・・ すると一人が、(あっ俺だった) 「なんじゃこりゃあ!」 一斉に外を見る。 あぜんとした。 吹雪・吹雪・吹雪 天気予報は晴れのち曇りのはず・・・。 積もらなければいいが、みんなの苦労が水の泡 ・・・ さて、明日の朝はどうなっていることやら。 とほほほほ・・・。
この独り言を書いている時、高校時代からの親友、川口から電話が入った。
「おぅっ、どうしてる」 「おぅっ川愚痴か、いま 愚痴 かいている」 「なんじゃそりゃぁ」 短い会話であった。
2005年3月11日(金)
以前にもちらっとここの記事に書いたが、基本的に我が社は年中無休であるが、社員は各々休みを決めその月の休み分は、勝手に取ってよい事になっている。 ところが、私だけは休みなど無い。 年中無休で個人的な休みなど取ったことがないのである。 そのかわり私の昼休みは2時間とらせていただき、昼食をとったらさっさと自分の部屋で昼寝をすることにしている。 ただ、することにしてはいるが、一年の内、自分のおもうようなスッキリした昼寝は、ほんの数回しかとった事が無い! 分かっているくせに誰かが必ず階段をかけのぼり私の部屋に入ってくる。 「し、つ、れぃ、し、まーす」 あっ、あいつだ! 最近は声を聞かなくても、階段の足音で誰だか分かるようになってしまった。 なにが失礼しますだ、本当に失礼だ! 中には 「みし・・ミシ・・みし・・ミシみし・・ミシ」 と気を使っているつもりだろうが、この上がり方が一番気になるしうるさいのだ。 社員と相対する時はきちっと机に座って待っていなければ相手に失礼であるから、階段の音がすると条件反射的に体が目を覚ます。 これは、本当に心臓に悪い。 うとうとしている時にいきなり、「わっ」、と脅かされたようなもの、ただ 「わっ」 が階段の音に変わっただけである。 おい、諸君おれをころす気かぁーあぁ、あーぁ、今日も休めず・・・か。
最近は毎日のようにどこかで殺人事件が起きている。 もし、私が心臓麻痺でも起こしたらすぐに犯人は分かる。 階段の音で・・・。 だけど誰が証明するのかな?
※かあちゃん、保険かけといてくれーっ! あいつの給料天引きで・・・。
2005年3月9日(水)
今日は県立高校の入試だそうだ。 当社の昭和31才の女性スタッフの二番目の息子さんも試験の真っ最中と言うから他人事である。 いくら心配したところでどうなる訳でもなく、全ては本人次第といったところだろう。 そういう意味では私は冷たい人間と言うよりも冷めた人間なのである。 (あっ、意味はおなじか) 実は私は長男が保育園に通っているときはもちろん、長女の高校2年生の時までの14年間、PTAの役員をやっていて、教育熱心なパパで有名だった。 しかし、私は自分の子供には勉強しろなどとただの一回もしゅべったことが無い。 やる気の無い者にいくらやれと言っても無駄で、逆にやる気があったら自分ですればいい。 別にやったからといって褒めもせず、全ては己次第だ、とだけ教えてやった。 PTAでは、教育熱心・・・・と言うのと矛盾しているでは? と言われるかも知れないが、私は時、時に子供たち自身が自分の歩む道の間違いに気づいたら修正してやり、また、迷い苦しみ頼られたら、きちっと方向を指し示してやること、これが親としての最低限の教育であり、役目だと信じている。 PTAの役員は、その時、時に正しい方向を示す為の情報収集の場であっただけのこと、だから子供の為というより、自分の勉強のためのPTA活動であったといえる。 おかげで長男は、無試験で埼玉の高校へ、しかし本人には、 「試験はあるそうだ、落される可能性もあると言ってた」 とだけ告げると出発の前日まで、必死に勉強してたのを想いだす。 さて、娘はとなると、中学の面談で 「○○高校の○○科は、難しいので一応○○科も希望するという手もありますよ」 などと言われたが 「いえ○○科一本で行きます。落ちたら落ちたで、その時考えます」 ときっぱりと言った。 その態度が子供に更なるやる気を起こさせ当然のごとく合格である。 こういう親のはっきりした態度を示すことが大切で、子供の尻を叩いて、さあ勉強、勉強というのは、私の性に合わないし、私自身に照らし合わせ無駄だということも充分承知していたから、出来たのかも知れない。
誰かが言っていた。 オール1の両親からは、オール1の子供しか産まれない! これは遺伝子学的にも、統計学的にも明らかである。 と
ちょっとまてよ、女房のことは知らないが私の通信簿には1〜5まで全ての数字が書き込まれバラエティに富んでいた。 こんな場合どんな子供が産まれるのだろう? と思うでしょう。 こんな子供が産まれました。いや、こんな子になりました。 《 写真クリック 》
2005年3月7日(月)
昨年暮に三年ぶりに、ひょっこり帰ってきた娘が、昨日また出て行ってしまった。 こんどはどこへ行くのやら、「いつ帰ってくるの?」 「わかんない」 ジャズだかなんだか知らないが、歌をうたいに海の向こうに行ってしまった。 私にとってこの冬は、あいつのおかげで、とても暖かかった。 私の大好きなAトレィン、何回聞かせてもらった事か・・・。 別れが近づくにつれ、独り言が娘の話題に多々触れてしまい、お叱りを受けそうな気もしたが、我がままを通させてもらった。
さて、心の中のつかの間の春は去ったものの、外の春はまだ先のようだ。 しかしいつまでも、待つわけには行かない。 春はこちらから迎えに行かないと、なかなかやってこないのである。 春一番の展示会に間に合わせる為、展示場の融雪作業が本格的に始まった。 まだ深いところで50cm、通路は都度つど片付けているので5cm程度のアイスバーン状態、これらをツルハシ・金デコ・角スコップで剥ぎ取っていく。 雪は日当たりに撒き散らしたり、水路へスノーダンプで運び出す。 全て人海戦術でやらなければならない。 これをすることにより、ようやくまちにまった春を迎えることができるのだ。 しかし、今年は我が社の開発した融雪木器が登場したから例年よりかなり楽になったはずだが・・・。
※しゃちょー、融雪機ってこれのことですか? いゃっ、融雪木器だ! はっ? 「木を燃やして器でお湯にするから、融雪木器と言う」 「んでも、社長お湯になるまで二時間ですよ」 「そんなはずは無い、やる木をおこせ!」 やっぱり失敗か・・・。
2005年3月4日(金)
私にはめんこい娘が一人いる。 あぁー、そういえば息子もいたっけ・・・。 息子はどうでも良いが、娘はめんこくてしょうがない。 ただ、娘に申し訳ないことが二つある。 それは娘が生まれた時、一週間も病院に行かなかった事、この事はなにかにつけ女房にもヒニクたっぷりに言われる。 もう一つは、長男が小1から、あるスポーツクラブに所属していて、常に長男中心の生活サイクルであった為に娘を犠牲にしてしまった事。 当の本人はさほど感じてはいないみたいだが、私は今でもどこかにその事がひっかかっている。 あっ、そういえばもう一つあった。 雛人形のこと・・・。もう、二十年も前だが当時独立したばかりで、忙しく子供たちにもかまってられない時だった、「もうすぐひな祭りだなぁー、あいつにも雛人形くらいは買ってやらないと」と思いつつデパートに行ったらお気に入りの木目込み雛は、やたら高くて今年はあきらめよ・・・。 と女房と二人・・・すると突然女房が 「多分、三日までは安くならないから四日の日にきてみるべぇ」 と言い出した。 「四日の日は、はぁ、片付けてしまってんでねぇーの?」 「いや、大丈夫」 こんな事に関しては、女のほうが一枚うわてだ。 三月四日、開店と同時に売り場へまっしぐら、女の感とはすごいものだ。 後片付けをしながら、現品三割引!これは広告にも載っていない思いがけない事実だった。 さらに交渉する・・・・私ははずかしくて、女房の影にかくれていたが 「ちょっと、あんだ、お金!」 「ハイ」 と財布ごと渡す。 交渉成立である。 その日の夜早速ひな祭り後夜祭が我が家で始まったのである。 その時から我が家では三月三日に雛人形を片付けるという習慣はなくなったといえる。
その雛人形、今年も飾られることはなかった。 こいつらが棲み付くようになってから。