2005年6月29日(水)
きのうから母ちゃんと妹の良さんとで親孝行にと両親(爺・婆)を連れ函館へ一泊旅行に出かけた。 長男は夕方から出張で、結局私が家に一人ポツリと残されてしまった。 何をかくそう母ちゃんと一緒になって以来 27年間、家で一人留守番というのは始めてのことである。 「あんだ、あんだってばぁっ、本当に一人で大丈夫だが?」 「んっーっん、大丈夫だでば」 「へば行ってくるよ、隆(長男)ば、ちゃんと駅さ送ってちょうだいね」 「うるせぇーな、わがってるでば」 とは言ったものの、どーも調子が悪い。 家にただいまぁーって帰ってもいつもの牛が鳴くような 「うぉー」 と言う声は聞こえない。 いつものように和室の戸を全部開け放ち冷蔵庫からビールを取り出し、イッキに飲み干す。 ふと庭を眺めたら雨上がりの緑が鮮やかに夕空に映えていた。 つい、ハサミを持ち出し庭へ出た。 と、ここまではかっこいい・・・。 前屈みになりハサミをいれた。 「うぁっ、しゃっけー (冷たい) 」 花や葉から雨のしずくが、ダラダラダラーっと、さっき着替えたばかりのTシャツから、○○ツまで、すっかり濡れてしまった。 とっとと家の中に入りまた飲みかけのビールを飲み干す。 だいぶ乾いたようだ。 気を取り直しさっき切ってきた花を花瓶に差してみた。 我ながら良い出来とニンマリしながら花と語り合った。
おいっ、花っ、花子。 花にも色々ある!(酔っ払い状態) 手花・青っ花・ダンゴっ花・花水・花ったれ・花○○・・・。 まだまだあるぞぉー!
悲しげにナツツバキが、ポタリと落ちた
その日の夜は、しゃらにならない夢を見てしまった。 かぁーちゃーん
2005年6月27日(月)
私の仕事は水やりと草取りである。 別にこの仕事を1日中やっている訳ではないが、土日は結構時間をかけることにしている。 と言うのは、やはり始めてのお客様などは、どうしても最初は警戒心があるものだ。 へたに営業に声を掛ければ、しつこく付きまとわられるのでは・・・。 とか、自宅にまで営業にこられては困る・・・。 とか、色々心労?があるみたいだ。 その点、草取りのじじいなら気軽に声を掛けやすいのであろう。 私の首からぶらさげているIDカードには、たまに、アルバイトと書いたりしている。 これはジョークのつもりだったが、お客様に説明を求められスラスラスラーっと、答えてしまったら、 「こちらでのバイトは長いんですか?」 なんて聞かれてしまい困ったこともあった。 やはり、ジョークとは言え、お客様に失礼があってはと思い、それ以来IDは下げない事にした。 がっ、先日はこんなことがあった「ちょっと、ちょっと、そこの人」 「あっ、ハイ」 「だれか偉い人いないのっ!」 「はっ、偉い人、あぁー、はい、多分事務所の方だと思いますが、呼んでまいりましょうか?」 「いいわ、私が行くから」 だって。 結局その方は、ガーデン工事一式の受注となったが、未だに私が社長だということを知らないらしい。
偉いとは、どういう事なのか私にはわかりません。 しかし、去年のビアパーティーで「社長からは、トップとしてのオーラが感じられますよ。」 なんて、えらく褒められたことがあった。 誰が褒められたの? もちろんオーラが。
2005年6月24日(金)
勝手なものだ、ついこの間まで早くあつくならないかなぁ。 なんて思っていたのにきのうは27度で今日は29度と、暑いのなんの・・・。 私は暑さがにがてなのだ。 東京町の人や娘が住んでいた大阪兵庫の人や何かはさぞや大変だろうとおもう。 なんてったって大阪は沖縄より暑いというから・・・。 ところで福岡の中村社長、福岡ってどの位暑くなるの?
話は変わるが、私は朝昼晩天気予報は欠かさず見ている。 その天気予報を見ながらも、やはり我が子のことが気になる。 息子が埼玉にいた時は埼玉の天気、京都にいれば京都の天気が気になっていた。 娘が大阪にいた時は大阪が気になっていた。 親とはそんなもので、誰がどこにいようといつも気にしている。 娘から電話がきた。 早速、「そっちは暑くてたいへんだね?」 娘 「どうしてわかるの?」 なんて電話で話していても、やはり娘のいるところは遠い。 今は、世界の天気がきにかかる・・・パパです。
夕べ本家へ行ってきた。 84歳の母は、まだまだ元気だ! でも数十年後には、天国の天気予報もわかればいいな、かあさん。
2005年6月18日(土)
独り言は、もうやめたのですか?とか、あまり飛ばしすぎたからネタ切れですか? などなど、メールをたくさん (本当は、2通) いただいてしまった。 ご心配おかけしてます。 別にやめた訳でも、ネタ切れしたわけでもないが、例のバラガから帰ってきてからというもの、大変忙しく動きまわっていた。 報道各社へのお礼やテレビ出演(少しかっこ良いがローカル)ラジオでの19(トーク)ガーデン雑誌の写真掲載用の写真撮り、取引銀行での写真展の準備、ボランティアのテレビのスタジオつくり、それらの合間にバラガで共に頑張ってくれた植物たちの手入れ・・・・・。 ふぅ~、っとため息がでるほどの忙しさである。 まだ、これからテレビがもう一本残っている。 これをこなして、ようやく一連のバラガに終止符を打つことができる。 皆さん本当にありがとうございました。 ペコ・ペコ・ペコ。 あっ、忘れてた!今度は10月に横浜で行われるジャパンガーデニングショーのガーデンコンテストのデザインを我が社が担当することになっていた。 これの締め切りが今月末、大変だ。
きのうまで、ずぅーと寒い日がつづいていた。 日中でも15度前後の日が2週間もあったが、今日は20度まであがるという。 いゃぁ、嬉しいのなんの、久々の快晴が望めそうだ。 今日もがんばるぞーっ! 鉢植えのカエルも? ・・・? おい、うんとかすんとか言えよ! いやいや、うんはもうまっぴらだ。
2005年6月7日(火)
展示場の水やりは、約2時間かかる。 朝8時に始めると終わるのが、だいたい10時過ぎであるから、ちょうどお茶の時間に一段落つく。 しかし少し気になったのが雑草がここ2・3日でだいぶ増えていることだ。 いつもなら夕方の少し日差しが楽になった頃を見ながらやっているのだが、今日はどうにも気になり、やらずにはいられなくなった。 んじゃ、いっちょー始めるか! とはりきって草取り鎌を手にとり、さっさっさっさと快調なすべりだし。 少し暑いけど大丈夫・・・。 少し腰をのばして、空をみあげたり、たまにご来場のお客様と話しをしたりと草取りもけっこう楽しい。 さて、一服つけようとしたら、綺麗な花があたり一面に咲誇っていた。 母ちゃんにこれ何の花なんて聞くと、またバカにされるので、(バカにするのではなく、何回も同じことを聞く私が悪い) そっと、近づいて匂いを嗅いでみた。 うっむ、なんだ、綺麗なわりには匂いがちょっと? もう一度、鼻から息をさっきより強めに吸い込んだ。 ギャーッ! ゲボーッ!吐き気がした。 ななんと、そこにはホシノの○○○しかも超特大。 やられた!
本日は都合により写真は掲載いたしかねます。 ご了承ください。
芝からずに臭かったと言う笑い話もあるが、今日はそんな心境ではない。 お許しを・・・。
2005年6月5日(日)
5月22日
そろそろ疲れもピークになってきた。 やはり1日中つったっているのも疲れる。 場内ではタバコはもちろん飲食もできない。 ヘビースモーカーの私は最上段まで、階段を登りスカイレストラン(私が勝手につけた売店のある所)まで行かないとタバコが吸えない。 この階段が数えてみたら122段と、なかなか厳しい。 朝から晩まで難往復したものか? 何往復ではなく難往復の連続である。 でも、わざわざ青森から来てくださったたくさんのお客様に励まされると疲れも吹っ飛んでしまう。 たくさんの暖かいお言葉をいただき本当に感謝している。 おそらくたった数分の違いですれ違った方もあったはず、ノートには本当に素晴らしい、さすがですね、なんて書いて下さった方もいた。 地元青森の方ばかりではなく全国の皆様にもたくさんの書込みを頂いてしまい、これが我々の宝であり本当の賞ではないだろうか・・・感謝してます。 本当にありがとうございました。
今朝、母ちゃんと、長男とで八戸に帰ってしまった。 一人ポツンと会場に残されるのも寂しいものだ。 「あんだぁ、無理しなくてもいいがらねぇ、メンテナンスきずがったら(つらかったら)多少枯れだっていいすけ」 久々の母ちゃんの優しい言葉にジーンときた。 かあちゃーん! と、思う間もなく 「あんだっ、パンツ、クリーニングさ出すんでねーよ! ちゃんと自分で洗いなせっ!」 感動もどこかに き・え・た。
2005年6月4日(土)
5月21日
きのうの悔しさも色々なブースを落ち着いて見えるようになってきたら、何となく消え失せてしまった。 ちょうどその時、母ちゃんの向かいのブースの田中さんの話を聞かされた。 その田中さんは過去に2回ほど上位入賞をはたしていたが、今年は賞取りには走らなかったと言う。 田中さんは昨年仕事で新潟に行っているときにあの大震災に出くわしてしまったそうだ。 水もなく食料もなく更に、交通機関の麻痺している中ようやく東京にたどりついたそうだ。 その時に感じた普段から災害に対する備蓄の大切さをうったえたく、それらをテーマにした庭のブースつくりに徹したとの事であった。 その話を聞いて、賞が取れた取れないは関係ないな、みんなそれぞれの思いがこもった物がここに表現されているわけだから、それでいいんじゃないかと思い始めた。 考えてみれば皆同じプロ、何がよくて何が悪かったはすぐわかる。 賞の取り方も知っていながらあえて、そういう作りにせず自分の訴えたいものを素直に表現したとは、なんと素晴らしい人なんだろうと尊敬してしまう。 田中さんは私より若い・・・。
実は田中さんの名前は淳一というではないか。 私はただの淳。 この辺からして違っている。 私も淳一さんの境地に達するまでは賞取りに走るかーっ!なと。 言っていることと考えている事がまったく違っている自分に気づく。
2005年6月3日(金)
5月19日
母ちゃんとディズニーランドでラブラブラしてたが、夕方近く私は携帯が気になってしょうがなかった。 と言うのもコンテストの結果発表は上位につき17:30頃電話での連絡があるとのことで、電波の状態は大丈夫か?電池の残量は?などなど気になりだしたら止まらない。 「あんだっ、なーにやってるの、さっきから携帯ばーり気にして」 「いゃっ、べづにべづに」 「あんだ、大賞でもとれるど思ってるの!」 「いや、大賞はともかぐ・・・・」 「ばぁっーかみたい」 で会話は途切れた。 その後携帯は、うんともすんとも鳴らず、少しくたびれながら所沢へと向かった。
5月20日
関係者入り口付近に貼り出された結果発表に目を凝らす。 「あんだっ、下がら見だ方はえーよ」 うるせーなと思いつつまた、また見直す。 大賞・優秀賞・準優秀賞・奨励賞・・・無かったっ。 入賞だけはかろうじて手にしたものの悔しさがつのる。 9:30開場、すごい人の行列100mいや200mとぞろぞろ続いている。 やはりこのショウはただ者ではない。 あとはこのお客様達がどのように評価してくださるか、それだけである。