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淳のひとり言 バックナッバー

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北国ならではの話

2005年11月30日(水)

 今朝は3時半に目が覚めてしまった。 いつもより1時間ほど早い。 また床に入ると二度寝になってしまい、ちょっと按配がわるくなるので、そのままテレビのニュースをかけて出勤の準備をする。 まぁ準備と言ってもタバコを一服しながらあれやこれやと今日のスケジュールを考えシャワーを浴び洗顔したりで、ゆうに1時間はかかる。 さて4時半、いくらなんでも早過ぎ・・・。 ふとカーテンの隙間から外を見る・・・うむっ、 粉雪が舞っているではないか。 この時期粉雪とは、だいぶ寒いようだ。 まぁ、八戸では積もることはないが弘前店のほうが心配でもう一度テレビをつけて天気予報の時間まで待つことにした。 が、待つまでもなくテロップに暴風雪警報がだされているとのこと、やばいなー。 きのうの打合せでは店長が今朝早くこちらに向かうとのことだった。 もちろんタイヤは履き替えているから心配はないが、怖いのは冬タイヤ未装着の他県からの車である。 冬用タイヤがあることすら知らないドライバーもいると聞くからたいしたもんだ。 チェーンは知っているらしい。 良くこれから見かける光景だが、東京町のナンバーをつけたスポーツカーに可愛いねえちゃんを乗せてスキー場に向かうカップル。 インターを降りるとアイスバーン、慌ててチェーンを装着しようとするが、年に1度あるかないかの事、そう簡単に装着できるものではない。 国道の脇に真っ赤なポルシェを止め四苦八苦、何ともカッコウの悪いことこの上ない。 中ではおねえちゃんがサングラス姿に真っ赤な口紅、いらいらしながらタバコをふかしているのが見える。 それでもなんとか装着したようだ。 ところがチェーンは舗装道路を走ると切れるということを知らない。 間もなく切れたチェーンが真っ赤なポルシェのタイヤハウスを叩き始める。 「ねぇ、○○君、なーにっ、この音っ?」 「ああっ、別に気にしなくていいよ、大した事じゃないから」 と何とかその場を繕う。 それでも何とかかんとかスキー場へ向かう山道に入ったのである。 「雪道は気をつけないといけないから」 と言いつつポルシェのボディを心配する○○君。 しかし、雪の上はチェーンを付けていると、ことのほか走れるものである。 ○○君は調子付いて・・・急発進をした!・・ 途端 ・・ 後ろのタイヤが横すべり。 ズッズッズッズッズー とそのまま用水路に、と思いきや ・・・ そこには電柱が立っていた。 ドッスーンとにぶい音をたて、電線を揺らす。 と、いう間もなくポルシェの左半分が用水路の雪の中にズボズボっと、のめり込んで行ったのである。 真っ白な雪の中に真っ赤なポルシェ・・・・。 
地元の人が言った。 こねだは(この間は) 青で きのなは(きのうは) 黄色 今朝おぎだっきゃ(今朝起きたら) 赤だものなぁー、まるで信号だっきゃ! 間もなく二人は自力で這い上がってきたが、おねえちゃんの方はぶんぶん怒り今来た道を戻り始めた。
と、間もなく、どでーっと転んだ、起き上がったが、また、どてーっ、彼氏をほっぽり投げてどこへいくのやら・・・。 あっ、また転んだ。

これは、私が八幡平スキー場で実際に目にした光景である。 タイヤチェーンは前後には効くが横滑りが激しい。 我々はほとんど使用しない。 また、さっきのお姉ちゃんの靴(ブーツ)にも問題がある。 靴底がツルツルの物はまずい。 まずは靴屋さんに行って滑り止めを付けてもらい怪我をしないうちに東京町に帰えった方が良い。 

スキー場は車を滑らせるところではない。 ましてやスキーもしないで転がって歩くところでもない。 ところで、ねえちゃん、荷物どうするの?     

東京

2005年11月23日(水)

 前回は京都で今回は東京。 別にしゃれを言っている訳ではないが偶然そうなってしまっただけのこと。 まぁ、母ちゃんと二人してでかけたのである。 母ちゃんと二人して東京町を歩くのは大変な事だと以前にも話したから今回は同じことは書かないように努めたい。 行った先は駒込にある旧古川邸、ここは石造りの建物に見事にマッチした日本庭園と、ローズガーデンがひときわ美しいと聞いたからどうしても行ってみたくなったのである。 
 宿泊したのは渋谷エクセルホテル東急というこれまた立派なホテルであった。 しかし東京町の人の多いことにはビックリさせられる。 とにかく携帯の持たない母ちゃんが迷子にならないようしっかり見てやらなければならず、後ろを振り向き振り向き気を使い歩き回ったのだが、なにしろ身長のない私にとって人の渦に巻き込まれれば方向を見失ってしまうから大変である。 その大変な事がおきてしまった。 母ちゃんがいなくなってしまっのである。 立ち止まり何回も振り向いたがどこにもいない。 大きな声で呼ぶわけにもいかず、そんな時は黙って待つしかない・・・と・・・しばらく立ち止まってきょろきょろしていると、 「あんだ、だれがいい女でもいだのが・・・」 とかかあの声、ふぅっと振り向くとかかあがいるではないか・・・。 「ちゃんと、付いていこねば、わがねでばな (ちゃんと付いて来ないとだめじゃないか) 」 と言うと 「私がらはちゃんとあんだの姿は見えてるの!めぐせごど、キョガロ、キョロガロって(みっともないこと、キョロキョロして)」 要するにかかあは私より背が高い、だから上の方からは私の姿がよく見えているらしいのである。 私からは人ごみに入ってしまうとなかなか発見しにくいので、ちゃんと横に付いてくればいいものを、以前にも話したが、かかあにはかかあのペースがあり東京町だろうがどこだろうが絶対にそのスタイルは変える事はしない。 だから私がそれに合わせるしかないのだ。 かかあが言う「東京の人って忙しい人ばっかりだんだね、もっとゆったりと、してららいいもんだべねぇ(もっと、ゆったりとしていたらよいのにね)」 まぁ、それもその通りであるが、郷に入っては郷に従えと言う言葉もある・・・。

そんなこともあり渋谷から駒込までは随分遠かったような気がする。 旧古川邸の話は紙面の都合上、後程ということで・・・ごめんなすって。   

京都

2005年11月19日(土)

 先日京都に出かけた。 G−21(ガーデン21) の京都での会議が開催されたのである。 G−21とは、全国のガーデナーで組織するグループで云々・・・。  まぁ、七面倒くさい話はやめて普通の話に戻そう。 実に京都は1年半ぶり位ではなかろうか? それ以前は年に4〜5回くらいは訪れるほど大好きなところである。 しかし 今まで本当に何度となくおとずれてはいたが今回ほど意味深く意識し見ることはなかった。 板塀の釘一本から石畳の水の溜まることの美しさ、お寺の土塀の線は何を意味しているか等々。 数えきれないほどの美を勉強させていただいた。 たった一泊ではあったが、短時間にこれほどの内容の詰まった会議や真の京都見物などしたことがない。 京都在住のガーデナー中川氏のおかげである。 また、中川氏の手掛けた庭も多数見学させていただいた。 随所に日本古来の手法を取り入れた新しいガーデン、そして決して外国人にはまねの出来ないわびさびの世界がそこにはあった。 これからの日本のガーデンの定義を示された気がしてならない。
 中川氏が案内してくれた 「次の作品は田中社長とのコラボレーションをお見せしましょう」 の案内に現場を訪れたら、なんとそこには我が社の物置、SUMIKOがちゃっかりまぎれ込んでいるではないか。 なんとなく嫁に出した娘に久しぶりに会ったような懐かしい気持ちになってしまった。 「おい、SUMIKO元気にしてるか」 なんてね。 我が社の物置がこれからの新しい日本のガーデンの一翼を担ってくれているとはなんとも感無量である。

素晴らしいものばかり見学させていただいた  京都  明日の僕は きょうとは 違う   

バラ

2005年11月12日(土)

 最近バラにこり始めた。 ついこの間までは展示場に咲くバラを指差して 「これはなんと言う種類ですか?」 とお客様に聞かれ 「それは、バラです」 と答えてしまうほどの素人だった。 つまり、お花の名前を聞かれて、はい、それは花です、なんて答えているようなもの・・・。 今になって思うとなんと恥ずかしいことやら・・・。 しかし、バラに関しては今入門したばかりであまり偉そうなことも書けないし、また書けと言われてもちょっと無理がある。 でも、少しずつではあるが勉強していることは事実。 ガーデニングのコツにも正直に書いた 「私も素人、一緒にはじめませんか」 と、普段は偉そうなことしゃべっていても、総体的な一般論は知っているが、なにかしら一つのことを突っ込まれるとはたと困ってしまう。 これからはそんなことのないようバラのことなら社長に・・・と言われるよう頑張ってみることにした。
楽しいですよ・・・バラは。
 霜が降りる前にと1週間ほど前、八戸公園のバラ園で写真を撮ってきた。 バラの美しさに魅せられると、もうたまりません何枚撮ったことか・・・バラの写真・・・。
毎週金曜日にはこのバラ園の剪定作業のボランティアにもでかけてみたが、まだまだ素人でどこを剪定していいやら、ただただ鋏を持って、あっちへうろうろ、こっちへうろうろ、一度も枝を切らずに帰ってきたものだ。 

でも、たった一つ褒められたことがあった、しかもバラの先生に 「田中さん、いいハサミ持ってますねぇー」

死ぬかと思った

2005年11月9日(水)

 毎週のように通い始めた弘前であるが、八甲田越えはだんだん厳しくなると思いきや、気温5.7度、積雪0cmとなんともはや快適なこと。 しかし、八甲田越えをした11月8日は例年より23日も遅いが初冠雪が記録された日。 頂上付近にはうっすらと雪化粧を見ることができた。 例年より23日も遅れての初冠雪は実に95年ぶりの新記録になったという。 地球が壊れてしまったのだろうか・・・。 我々の商売にとっては暖かいということは非常にありがたいことではあるが、それにしても薄気味が悪い。 快晴の八甲田路を快適に飛ばす。 途中城ヶ倉大橋で、いつもの記念撮影・・・毎回、自然の姿を変え我々の眼を楽しませてくれるが、やはりこの時期になると何とも言えぬ寂しさも感じる。 今回は五所川原1ヶ所青森2ヶ所の現場状況の確認であったが、午後から少し雲行きが怪しくなってきた。 雨が降り出したのである。 パラパラパラと降ってみたりシャワーのようにサァーッと降ったり、いきなり雷が鳴ったりと・・・そうこうしている内にこんどはサァーッと晴れ間が広がったりと、これまた変な天気になったものである。 青森の帰りにまた五所川原に立ち寄り最後の確認。 もう、4時過ぎであった。 いくら何でもこれからじゃぁ八甲田を越えるのは無理があると思い、今回は虹の湖から十和田湖の子ノ口をかけて帰ることにした。 一応ラジオで道路状況を確認 「現在の所県内凍結の情報は入っておりません」 とラジオの声 「いや、八甲田まわればいがったなぁー、30分は違うな」 と僕の声、しかしもう向かってしまっものは、そのまま行くしかない。 まわりはもう真っ暗でときより虫がライトの明かりめがけて飛んでくる。 まだ気温が高い証拠。 このまま飛ばせば・・・・・・・・・・飛・・・ば・・・せ・・・ば・・・なんて言ってられなくなった。 いきなり吹雪だしたのである。 吹雪・吹雪・吹雪 一寸先も見えないくらいの吹雪である。普段ならゆっくり走れば大して怖くもないが、なにしろ夏タイヤ装着であるから、一発滑ったら谷底に、いってらっしゃーい。 いや、行ったらもう二度と戻れないのである。 慎重も慎重、シートから身を乗り出して前を見ないとまったく見えない。 もちろん私の身長も身長5尺2寸7分しかない、なんてしゃれも言ってられない状況である。 ライトを遠目にすれば雪がまっすぐに飛び込んでくるし、近目にすると急カーブの多い山道では先が読めず、何かが光ったと思ったらいきなり対向車、ギャッーとギヤーを落とす。 フットブレーキは危険極まりない・・・。 

と何とかかんとか帰ってきたが、感想は?・・・完走できてよかった。 それだけ・・・。

いっちまったよーっ

2005年11月3日(木)

 「ん、じゃぁーね」 と一言・・・。 娘がまた、遠い国へと帰っていった。 半年ぶりの再会だったが2週間の休暇が終わり、またベビーシッターをしながら歌の勉強だそうだ。 しかし、仕送りなしの生活の為レッスンを受けるにもそれなりの費用がかかり生活もかなり切り詰めなければやっていけないらしい。 
 男親とはなんとも情けないものだ。 娘がいなくなった途端に寂しくてしょうがない。 一日に何回も娘と過ごした思い出にひたり、写真を眺めては、ため息をついてしまう。 これを書きながらまた、ため息が出てしまった・・・。 かかあが言う 「これだもの、あんだっ、○○子が嫁に行くったら一緒に行くって言うんでないの?」 そうかもしれない・・・。 年頃の娘をもつ男親とは皆そうではないかと思うのは私だけだろうか? 

夜中に何回も寝言で娘の名前を呼ぶらしい 「○○ちゃん○○ちゃん」
・・・ 朝 ・・・ 「ちょっと、あんだ、夕べどこの人の名前呼んでらったのっ」 「だれだの○○ちゃんって」 やばっ、またスナックのねえちゃんが夢にでてきたらしい。 

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