2005年12月31日(土)
お隣、韓国の科学者が発表したES細胞論文が完全ねつ造であったと結論づける報道が流された。 (報道か流された? ちょっと変) その科学者が発表したES細胞は存在しないと言うことである。 つまり、この科学者はウソをついていたということになる。 しかし私は、この科学者はウソだということは初めから知っていたのである。 別にクローンに興味があるわけでも詳しいわけでもないが、ただこの科学者の名前を知っていただけの話。
この人の名は ・・・ ファン ウソク ・・・ というから、最初からウソクさい話であったのだ。
クローンは神の領域であると、その研究さえ認めない国が多いと聞く、しかし同じかみの領域でも、日本人が開発し、かみの領域を完全におかしたが世界中で認められた技術がある。 そのことは、皆さんは知っているのだろうか?
ならば、お教えしよう ・・・ ウォッシュレットトイレ ・・・ であるが神(紙)の種類がちょっと違ったらしい。
まぁ、それはそれとして、この間中国でおもしろい物をたくさん見てきた。 それらは日本の技術に早く追いつきたい或いはパクった方が早いからなのか・・・。 どちらかと言えば後者のほうであると現地の人が言っていたから間違いないだろう。 まず驚いたのは、レストランでトイレに入りなにげに目の前をみたらその衛生陶器にTOTOの文字が書かれていた。 日本製にしてはちょっと形が・・・? 何じゃこりゃあ・・・ よーく見るとTOTOではなくYOYOではないか、思わず上と下から吹き出してしまった。 さらにはINAXがIMAXに変身していた物まであるからおもしろい。 まだまだあるが、しゃべればきりがないUCCコーヒーがUBCコーヒーであったりと ・・・etc・・・
工場の見学もしてきた、前日ちょっと飲みすぎでトイレをはいしゃくした。
このあたりに来るとトイレの仕切りはちょうど腰の高さ位までしかなく、ズボンを上げようと立ち上がると隣が丸見えの状態で中国では、これがごく一般的なスタイル、しかも扉のないトイレがほとんどである。 さらに便器には金かくしなるものはなく、まるで後ろ向きで用をたしているようで、どうもぎこちない。 もちろん水洗式ではない。
私はこの水洗式ではないトイレに入り落書きをしてきた。 ルイ・ぼとん製と
2005年12月28日(水)
韓流ブームは、まだまだ続いているようだ。 熱しやすく冷めやすいと言われる中年オバハンの性格からして、せいぜい1、2年位のものだろうと高をくくっていたら、何の何の未だにそのブームは一向に衰える兆しはないようだ。 これはあくまで私見であるが、どうしても私には胡散臭い (と言えばしかられそうだが、) 二昔前の昼メロ韓国版にしか見えない。 まあ、韓流スターといえばヨン様しか知らない私には、そんなことを言う資格はないのだろうが・・・。 今朝もニュースの合間に韓流ドラマの予告編でイ・ボンヨンとか 「ともこっーっ!」 と叫ぶウォンミンという韓国スターの名前を耳にした。 へぇー、いっぱい居るんだなぁーと思いつつテレビのニュースに見入った。 そんなニュースの中で毎日のように報じられているのが、マンションやホテルの耐震強度偽装事件である。 互いの責任のなすりあい。 見ていてまったく見苦しい。 あれだけのことをしていれば、どうせ会社は続けられなくなるのだから、元請から下請け或いは孫請けのはてまで、業界の上下関係の仕組みを暴露して、すっきりしたほうが余程いさぎよい。 何が私が生きている限り責任をまっとうするだ! ちゃんちゃらおかしくて・・・。 業界とはそんなものだで済まされるものではない。 姉歯氏の係わった物件は79件にも及ぶという。 さて、いったいどういう結末を迎えることやら・・・。
こんなテレビばかりを見ていると、ついつい覚えてしまう外国語 アネハセヨ
2005年12月22日(木)
17日から21日まで中国に出張していた。 三泊四日の日程だったが中国に居たのはたった二日間だけであとの二日は移動にあてられた。 以前にも話したが私が最後に中国を訪れたのが平成10年だったので、なんと7年振りの訪中である。 よく中国は変わったと聞かされていたが、確かに建物や道路は整備されあちこちに高層ビルが立ち並び高速道路も当事とは比べ物にならない位整備されていた。
私はいつも飛行機の座席は通路側を確保することにしている。 下手に眺めが良いからと窓側を確保したりすると日本人同士でも席を立ちたい時など気を使うのにましてや言葉の通じない外国人に、どーんと構えられたら、これまた窮屈極まりない。 海外旅行の時はどうせほとんど海しか見えないわけだから、なにも窓側を確保する必要はないのである。 いつでも気軽にたってあるける通路側が良いに決まっている。 これはエコノミー症候群の予防にもなるから知っておいた方が良い。
てな訳で、空からは残念ながら上海の夜景も何も見ることは出来なかったが、空港に降り立って直感した。 中国は何も変わっていないことを・・・。 一般的に何事も年を重ねるごとに洗練され成熟していくものであるが・・・。
それでも一途の期待を残しタクシーに乗り込んだ。
途端 「ぎゃっーっ!」 飛ばすのなんの、しかも割り込み、急停車寸前のブレーキ、クラクション、びっびっびっびっー、パッシング、搭載された機能を全て使いこなしている。 もちろん以前にもこのような事は数多く経験しているが、当事はまだ、これほど高速道路も整備されていなかったので飛ばすといっても、たかが知れていたのだが、これは正に虎に翼といったところであろう。 四車線の道をフル活用しカーチェイスが始ったのである。 日本の暴走族顔負けというより、すでに負けている。 変なところで日本の誇りは持ちたくないが、暴走族の方がまだまだ可愛らしく見えたものだ。 話せばまだある。 100q以上で走るトラックの荷台になんと人が三人乗っているではないか・・・。 これはあまり珍しくもない光景のようだ。 確かに中国は変わっていた。 ドライブテクニックにかけては世界一だろう。
「もし、この世に神と言うものがあるならば、どうか無事に日本に帰れますように」 と何度も祈った・・・ラーメン
2005年12月17日(土)
きのうお知らせしました中国へ本日出発です。
それでは皆さん行ってまいります。
ちゅうごーく、よいとーこ、いちどーわぁーおいでー、チャイナチャイナ・・・・。
2005年12月16日(金)
私が始めて中国を訪れたのが平成5年。 その後中国との取引が始まり、翌年石材の輸入量が大幅に増えた為、上海に事務所を構えたこともあった。 約1ヶ月おきに上海を起点にあちこち飛び回っていたのを思い出す。 平成10年に事務所を閉鎖してからは、ほとんど訪れる事もなくなったが最近の急激な経済発展と商品の品質向上には目を見張るものがあると聞き、それでもまだ半信半疑ではあるが、また挑戦してみることにした。
中国製品には幾度となく泣かされてきた経験がある。 まぁ、喋れば、きりがないが、あまりの製品のひどさに送金をストップさせ代替を求めたが、一切応じず、逆に国家的損失を与えたとの理由から訴えを起こす、などと大もめしたこともあった。 それでも次のコンテナの検品に行かねばならず、準備をしていたところへ突然上海から連絡が入り 「社長、今来れば殺されるから来てはいけない」 とのこと。 それでも殺されるのは覚悟の上と女房の反対を押し切って行ったものだった。 信じられないだろうが、当時は人の値段より車の方が高いと言われていた中国社会、今はどうなっているのだろう。 日本の1年が中国では5年いや10年単位で発展しているらしい。
その中国、明日成田から発つ・・・。 色あせた写真は当事の事務所で撮影したもの
送金を止めた為、フジケンと言う社名が使えなくなり、北日本貿易と名乗っていた。
2005年12月10日(土)
拝啓
皆様、大変ご無沙汰しております。
今月に入りやたらと行事や出張が多く、12月3日から21日までのうちで、比較的空いているのが15日と16日だけという有様・・・。 あとは全てパンパン状態でこれらのスケジュールを全て説明するのは到底無理がある。 お客様がお見えになったり、出張があったりと、とにかく毎日がめまぐるしく過ぎて行く。 そんな中ちょっと印象深いことがあったので、紹介しておこう。
12月5日と6日は長野へ出張があった。 しかも車での移動で長野に滞在したのはたった2時間程度のトンボ帰りだった。 やはり眠らないと体がもたないので、仙台まできてようやくホテルがとれ、そこでまずは一休みと・・・。 翌朝7時出発、別に朝の早いのは苦にならないが、いつもと違う出張スタイルだった為、やはり少し疲れはのこっているようだ。 眠たい目をこすりながらいざ八戸へと向かった。 途中、サービスエリアで何回か朝食や休みをとりながら帰ってきたが、とあるインターでおいしそうな梨が目にとまった。 私はりんごよりも梨を好むタイプ。 早速レジのお兄ちゃんに 「これ、めが (旨いか)」 と尋ねると 「めよ (旨いよ)」 と答えた。 さすが東北人、めが、めよ、だけで商談成立、1500円成。 家に帰り夜母ちゃんに「○○名物の、めー梨買って来たよ、一緒に食べるべ」 早速二人してほうばる・・・???・・・・なんだこりゃ? 二人して顔を見合わせる? めぐねのなんの (旨くないのなんの) 二人して笑ってしまった。 「形ばりいくても、なんだのこれ」 といったところ・・・。
翌日、皮肉にも本家から梨が届いた。 「淳が好ぎだっきゃ」 と言って母がくれたものだ。 形はいびつだが、めのなんの(訳省略) 母ちゃんと二人幸せな気分になったとさ・・・。
教訓 名物にうまいもの なし
2005年12月3日(土)
この時期になるとどうしてもお天気のことばかり書かさってしまう(書いてしまう。) 今朝は−2度と冷え込んだ。 別にマイナスの気温なんて珍しくもないが、冬の始まりは体が慣れるまでやはり寒い。 パッチ、ズボン下、モモヒキ、これらはどのように区別されているのか分らないが、いずれにせよこれらを身に着けなければ冬は越せない。 しかし今の時期、どのタイミングではけばよいのか見極めが難しい。 あまり早すぎると日中は暑くてしょうがないし、どごだりで (変なところ) 脱ぐわけにも行かず大変迷うところである。 我々はこのパッチをはいて作業することをパッチワークと言う 〈ウソです〉 パッチワークの先生ごめんなさい。 〈ペコ〉
話は変わるが、我が社は八戸駅に非常に近い場所にあり、時々駅周辺で買い物をしたり昼食をとることがある。 そんな時、新幹線から降り立つ人々を見るとだいたい地元の人か東京町の人かは見極めがつく、それはやはり服装である。 東京町からおいでになる方々はほとんどがエスキモーのようにムックラどしたジャンパーにマフラー、さらに手袋をはめている。 それでも 「寒いわねぇー、」 の連発である。 まるで北極にきたみたいな言い方をする。 逆に地元の人は比較的軽装で 「きょあ (今日) なんぼがあったげぇな (すこし暖かい)」 と、お国言葉・・・。 まあ、別に服装で判断しなくても言葉を聞けば一目瞭然?であるのは確かだ。
ところで、本日東京町からお客さんがお見えになる。 ガーデンデザイナーのスチュアート アクステル氏とガーデンアーチストの秋元ふみ子氏である。 このお二人が 《クリスマス・イルミネーションの飾り方、楽しみ方》 と題し東奥八戸ホールで講演会を開く。 我が社も一役かっているわけで、色々とお手伝いをすることになっている。 まずは、12時に八戸駅への出迎えから始るわけだが、いったい彼らの第一声は何だろう? やはり 「寒いわねぇ」 だろうか? あっ、そう言えばスチュアートは日本語話せないんだっけ。
となると、秋でもないのに オータム かな?
随分お寒い話で失礼しました。