小池さん?
小池さんって、だぁーれ。
となってしまうので、一応説明しておこう。
ようするに、HARUKAの産みの親である。
そして、もう一人のハルカの育ての親でもある。
以前にも説明したが、我社のログハウスの名前は、この小池さんの所に働くハルカさんから頂いた名前で、春を待ちわびる北国の人間にとっては春の香りや芽吹きは言葉では言い表せないほどの感動である。
その感動とハルカさんの笑顔が、私の心の中で重なり合ってつけられた名前なのだ。
そのハルカさんの出身は中国黒龍江省で、ここもまた、酷寒の地であることは間違いない。
ゆえに春、香と書くかどうかは分らないが、ご両親もきっと春を待ちわびていたに違いないと思うのである。
ハルカさんは中学卒業後、家族を養う為に単身、上海にやってきた。
24時間営業の台湾料理店で16時間労働を強いられていたという。
賃金はたったの300元(4350円)、でも5年勤めると500元(7250円)になるという。
たった、それだけを楽しみに日曜、祝日、盆、正月もなく田舎の家族を養う為にもらった給料の半分以上を仕送りにあてていたという。
しかも、彼女の住むアパートは8人部屋で2段ベッドの下の空間だけが唯一自分に与えられたプライベイトルームであった。
もちろんテレビ゛もなければ風呂もない。
そんな生活をしている中、この小池さんに出会ったのである。
小池さんは、彼女の勤める台湾料理店にちょくちょく食事をとりに通っていたという。
そこで彼女に 「どこから来たの?」 「黒竜江州」 「上海に来ていいことあった?」 「なーんにもない」 「お客さんは日本人?何の仕事してるの?」 「貿易」 「貿易ってなあに?」 etc・・・ とまあ、こんな会話から、「うちの会社で働かないか」 「日本人は嫌い、怖い」 とか色々言われたそうだが、その後彼女は小池さんの会社に勤めている。
店の者からは 「絶対だまされているからやめたほうが良い!」 とか、「そんな高い給料には裏がある!」 などと、さんざんいわれたが・・・・。
今の彼女の給料は以前勤めていた時の10倍、アパートは日本人と商売をするには、やはり日本人並の生活をしてもらわなければの配慮から、中国では高級の部類にはいるマンションに住まわせてもらっているという。
その彼女が今年のお正月に5年振りに帰省をしたのである。
上海から汽車に乗って車中三泊四日かけての旅、両手に抱えきれないほどのおみやげを持っての帰省である。
汽車の座席は柔らかいシートは高いとのことから、板座席に乗って行ったと聞いた。
そんな、ある日小池さんから電話がかかってきた。
「田中社長、ハルカが帰ってこないんですよ、なんの連絡もないし・・・」と、小池さん
「まだ、19、20才だし、親にでも引き止められたんじゃないの?」と、私
「そんな、はずはないと思うが・・・」
皆さんは、ご存知かどうかは知らないが、中国の正月の帰省ラッシュというものは、日本では到底想像が付かないほどのラッシュになる。
私の父親に言わせると、終戦直後の映像をみているようだという。
通路やデッキは人人人で屋根の上にまで人が乗っかっている状況だと言えばお解かりいただける思うが・・・。
ハルカさんは、このUターンラッシュに巻き込まれてしまい、帰りの切符が手に入らなかったという。
仕事初めから四日後に帰ってきた。
なんとも、涙ぐましい話ではないか。
うちのHARUKAも、予定の6日を過ぎても姿を現さず、とうとう産みの親の登場であったわけで、本日のタイトル 《小池さんがやって来た》 となった。
ところが、その小池さん、口を開くと寒い、あーっ寒いしか言わない。
今日は、これでも暖かいほうですよ・・・と、いっても通じない。
そうなると、やはり中から暖めるしかないわけで、うちの母ちゃんと三人で夜の長横町 (東北では2番目にランキングされている歓楽街) に繰り出したわけである。
可愛いお姉さんに 「どちらから?」 と聞かれると 「上海?福岡?広島?」 となってしまう。
国籍不明と言ったほうが楽なようにも思うが・・・。
「八戸は寒くないですか?」 「ぜんぜん・ぜんぜん」
おいおい、全然、態度が違うじゃないか!
「いや、これも慣れですね」 だと。
「ところで、小池さん、ホテルは?」
「えっ、社長のとこ、泊めてくれないんですか?」
ぎゃっー、これは、まずい
ところが、かあちゃん、さっと機転を利かせ 「私、お先しますから、どうぞ二人でゆっくりしてきてくださいな」 (客が来ると言葉がやたらと良い)
まあ、その後どれだけ飲んだか??????
いまさらホテルでもあるまいし、我が家にご案内した次第である。
さすが、かかあ、きのうまでの散らかり具合が、まるでウソのように、きれーいに片付いてある。
これだったら毎日お客が来てくれれば・・・ねぇ。
嵐のようにやって来た小池さん、青森空港から一直線で福岡に向かった。
その途中、積もった雪を見たことがないというものだから、みせてやることにした。
初めちょろちょろ中ぱっぱではないが、最初は少しの雪にも、すげーすげーの連続で写真を撮るわ撮るわ、ところが、積雪8メートルにもなると、 「この壁、倒れてきませんかね?」 「いゃ、たまに倒れて下敷きになって二三人は毎年なくなってますよ」 と冗談を言ったとたん、黙り込んでしまった。
「いや、うそですよ」 と言ってもなかなか信用しない。
一度、恐怖心をあおると、なかなか大変なものである。
パラパラっと雪が散っただけなのに、やたらと震え上がるし、我々には何とも無いシャーベット状の道では、隣で足をつっぱりブレーキをかけている。
「小池さん、助手席にはブレーキはありませんよ」
「あっ、そうですね、でも福岡ではこの状態の雪道が一番事故が多いんですよ」
「ここは福岡ではありませんっつうのに」
小池さんは感動と恐怖の連続で、おおはしゃぎ?。
「こんなとこ、ハルカに見られたら、ローパン(社長)は日本に遊びに帰ったと思われるから、写真は見せないでおこう」 と言っていた。
おーい、ハルカさーん。 ローパンは、日本で毎日お酒を飲んで、雪合戦やら雪だるまつくってあそんでばっかだったよー。
ねぇ、小池さん